JA香川県 国分寺盆栽センター

初めての盆栽

 盆栽は、山野にある植物を鉢の中で育てていきながら、自然にある植物の姿以上の美しさを求めていく趣味であり、日本の伝統的な芸術でもあります。その根底には、生命ある植物に対する日本人の心の優しさ、きめこまやかな美的 感覚が表されています。草木を鉢に植え、花や葉の美しさだけを楽しむ鉢植えとは一線を画しています。
『盆栽』という言葉は、14世紀中頃の詩文に登場していますが、広く一般に使われるようになったのは江戸時代(17世紀初頭)になってからです。しかし日本の盆栽の原形は、さらに古く1309年の絵巻物に 見ることができます。
古い時代の盆栽は貴族や僧侶など身分の高い人の間で楽しまれていたようですが、江戸時代には庶民の趣味として普及していきました。さらに明治時代になると、盆栽を芸術的見地からも鑑賞するようになり、本格的な美の追求が始まりました。またこの頃から大規模な盆栽展が開かれたり、培養技術の専門書が刊行されるようにもなりました。
現代では、盆栽は誰でも気軽に楽しめる趣味として親しまれている一方、長い年月にわたったり大切に継承されてきた盆栽は、日本の気候風土と日本人の植物に対する愛情に育まれてきた日本の伝統文化、芸術として認識されています。
さらに今日では盆栽は世界各国でも楽しまれるようになりました。盆栽は、最近愛好家が増えてきており、海外でも「BONSAI」として知られています。経験のない方は、「盆栽」というと「難しい」「手入れの仕方がわからない」という方も多いでしょうが、決して難しいものではありません。ぜひ一度、盆栽を手にとって楽しんでみましょう。

盆栽とは、「自然の木を鉢に植え、栽培し、観賞するもの」のことです。
その際には次の事に留意することが必要不可欠とされています。

・「根張り」・・・・・・・・ 前後左右にまんべんなく八方に根が張っているのが良い。
・「立ち上がり」・・・・・ くびれが少なく、太い方が好まれる。
・「幹模様」・・・・・・・・ なだらかなカーブを描く形。
・「枝打ち」・・・・・・・・ 正面から見た姿。非対称の美しさを求める場合が多い。
・「葉性」・・・・・・・・・・ 葉の形、色つや。

盆栽の歴史

 香川県高松市鬼無地区から国分寺町端岡地区周辺にかけては、松の盆栽で全国シェアの約八割を占める一大産地です。樹形の美しさに加え、水はけのよい砂壌土で育った松は「根腐れしにくく、傷まない」として定評があります。
そんな松盆栽の歴史はさかのぼること二百年。先覚者が付近の山地や瀬戸内海の島々、海岸に自生する木を培養し、販売したことに始まる。
一八九四年、国分寺町の末沢喜市氏が、先進地だった鬼無地区の協力で錦(にしき)松の接ぎ木に成功、大量生産が可能となった。右肩上がりで推移してきた生産も、第二次世界大戦で生活がひっ迫、作物生産のために畑一面の松は薪に姿を変えた。こうして一時途絶えた盆栽も、戦後、畑の隅にわずかに残っていた松の接ぎ木により復活しのです。
戦後の経済成長と盆栽人気で一気に需要が拡大、次々と名品を送り出し、全国に「香川」の名を広めた。
近年は、住宅環境の変化やライフスタイルの多様化などにより国内市場は伸び悩んでいるものの、世界的な「BONSAI」ブームで、欧米やアジア向けの輸出が盛んになっている。
香川県国分寺町は町木が松ということもあり、栽培が非常に盛んです。 また、綿松の発祥地としてもしられています。




猪尻山の裾野にある盆栽神社
錦松の父末澤喜市翁
末澤喜市翁は今日の錦松盆栽の基礎を築き錦松盆栽を実益を兼ねた産業にまで育てた大先覚者である。明治25年頃錦松を見出し、遺伝性の原則から接木活着に成功し、明治27年に白芽錦松の「日清」を生み出し、翌年には赤芽山錦から「末広」を生み出した。喜市翁はこの錦松の接ぎ方、仕立方に半生を捧げ、直幹作り模様木から根連れ筏作り等の珍木を次から次へと考案していった。昭和6年68歳で亡くなるまで翁は盆栽業界に尽力し続けた。まさに盆栽史を彩る最高の存在であり、私達盆栽職人の誇りである。
 現在、盆栽農家は約二百七十戸。栽培面積も一九六〇年代の最盛期の半分以下まで激減している。
樹木や草花をつかさどる神様を祭っているといわれる盆栽神社(国分寺町新居)では石碑が建てられている。

Copyright (C) 2013 JA香川県国分寺盆栽センター. All rights reserved